☆彡サポート体制が整っているレーシッククリニックを選ぶ


☆彡サポート体制が整っているレーシッククリニックを選ぶブログ:2014-09-27


わたしの家は一年中、
お父さんの知らない秘密でいっぱいだった。

お母さんとお姉ちゃんとわたしは、
クリスマスも誕生日も雛祭りも、
チーズケーキを囲み歌を歌い写真を撮り、
イベントはきちんと三人で迎えてきた。

わたしとお母さんが、
また、お姉ちゃんとお母さんが冷戦状態であっても、
お父さんが家族の出来事に
クチを挟むことは殆どなかった。

仕事やつき合いで
いつも午前様か単身赴任だった生活も、
ようやく落ち着いた頃には、
もうむすめ達は部活や試験や遊びに忙しい学生になっていて、
家族みんなで食卓を囲むこともあまりなくなっていた。

そして就職、独立、結婚…
ますます距離が離れてゆくむすめ達に、
これが一般的なお父さんとむすめのスタンスだと、
お父さんの方も割り切っていたのかもしれない。

「ちょっと具合が悪いらしいの」
お母さんから電話を受け実家に行くと、
お父さんは布団の中から出ようとしなかった…
相変わらずの病院嫌い。

必死の説得で、
やっとのことで病院へ行かせると即入院となり
「ご家族の方は覚悟を決めるように」
という厳しい言葉までいただいた。

池袋のお姉ちゃんも呼び戻され、
お母さんは何度も
「好きに生きてきたんだから、いいよね」と言った。

入院した当初、わたしがお見舞いに行っても、
お父さんは全く起きあがる気配すら見せなかった。
病室を出た後は毎回、
これがお父さんの姿の見納めなのではと不安になった。

そんなお父さんが、
初めてわたしの息子達を病室に連れて入った瞬間、
電気のスイッチを入れたような輝きを放った。

お父さんは肉体をゆっくりと起こし、
そして短く「おっ」と言った。

昔、新聞を読んでいるお父さんが顔をあげて、
わたしの運んだ晩酌のビールを見つけた時のあの顔だった。

娘達との穏やかな空気に包まれて、
何と幸せそうな様子だろう。
もちろん、それからわたしの見舞いは必ず「孫持参」となった。