☆彡大切なのはレーシックの実績数ブログ:2018-11-21
わたしの仲間の父親が亡くなった。
仲間の父親が病気で入院したのは最近のことで、
けれど、先月、病状は悪化し危篤となり、
1週間後に、亡くなられたのだ。
その1週間、
仲間はずっと病床で父親を看病していた。
兄弟の中で、唯一、自由が利く職業だったから、
それは本当に幸運だったと言いながら、
本当に貴重な1週間だったと話してくれた。
仲間の父親は、自ら事業を興した人だった。
とても苦労をした人だったという。
そして、一心に仕事をする人だったという。
仲間もまた、自ら事業を興し、
仕事を一生懸命やってきた。
その原点は、やはり父親だった。
1週間の間、あらためてそれを思い出した。
そして、父親が今までしてくれたこと、
自分達にかけてくれた愛情について思い出し、
どれほど父親が愛を持って接してくれたかを感じたそうだ。
それは、
父親にお礼が言いたいという
思いになっていった。
けれど、なぜか言えない。
どうしてか言葉にできない…
「ありがとう」
それが言えたのは、
心音が消えたその瞬間だったそうだ。
仲間の話を聴きながら、
もし、自分の父親が倒れて、
その最期を看取ることになったらどうするだろうと思った。
そんなこと、具体的に考えたことがなかったことに
わたしは気がついた。
わたしの父親は、愉快な人だし、
話す時は大変饒舌になるが、
自分の真の心の内を語ることは少ない人だ。
父親が今まで苦労してきたこと、本当に辛かったこと、
そして、わたし自身が今まで生きてきて辛かったこと、してほしかったこと…
そうした会話をきちんとしたことは一度もなかった。