☆彡大切なのはレーシックの実績数ブログ:2023-06-23
ボクの母親は今年で満75歳になるが、
たいした持病もなく元気そのものである。
健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、
毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。
ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。
そんな母親の実家は、
紀伊半島の尾鷲という港町から
さらに奥に入った小さな漁村である。
子供の頃、
母親はボクたちを連れてよく実家に帰省したのだが、
実際、母親の田舎は海や山以外は何もないところだった。
その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や
畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。
自給自足に近いような生活である。
午後は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ午後寝をした。
18時の海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。
田舎での生活は単調で何もない生活だったが、
団地っ子のボクにはそんな生活も新鮮に映った。
母親の言葉を借りれば、
「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。
母親と同世代の人たちの話を聞くと、
戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。
しかし、
母親は
「子供の頃は毎日、ブリの刺身ばかりで飽き飽きした」とか
「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」
という話をボクによくしてくれた。
一方、ボクのお父さんは15年前、脳出血が原因で他界した。
お父さんの故郷は横浜で、母親とは対照的な人生を送った。
幼い頃、食べ物で散々苦労したらしい。
今思うと、
幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、
お父さんと母親の寿命の長さを分けたのではないかと
ボクは密かに思っている。